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2007年9月12日 (水)

さよなら、夏の日

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海岸には、もう人影も無い。

百日紅(サルスベリ)の花も終わった。

毎日、毎日、100日間も咲き誇ったのに、

夏を連れて去っていった。

秋雨は冷たいから、早く冬毛をまとうがいい。

ふさふさのススキの銀穂を真似て。

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コメント

初めまして、めんまと言います。
猫好きです。
とてもいいですね、猫ちゃん。
うちは成長したロシアンブルーを頂いたのですが、
日に日に面影がなくなっています。
野良猫ちゃんたちもたくましい。
私は日々、野良猫ちゃんを応援しています。
『強く生きろ!』
でも、見ている私自身が癒されています(^_^;)

投稿: めんま | 2007年9月14日 (金) 08時36分

朝晩の風が、日に日に涼しくなっていますね。
いつも会う子たちも、なんとなくのんびりして
毛繕いしているように見えます。

寒い季節が来る前の、ほんのひととき。
爽やかな季節を、ゆっくり楽しんで欲しいです。

この記事のタイトルを見たら
山下達郎さんの曲が、頭の中に
流れてきました。(^.^)

投稿: 猫姫 | 2007年9月14日 (金) 10時42分

めんまさま、こんにちは。

野良猫の「孤高さ、気高さ」が私の写真の一貫したテーマです。

ホッキョクグマやパンダだけが環境問題の代表選手みたいな風潮がありますが、もっと身近に被害者が沢山いる事を知って欲しいと思ってます。

「強く、逞しく生きている」と感じられる写真の方が、「悲惨さ」を語る映像よりも、より多くの人のココロを動かすと信じてます。

投稿: Hoshino | 2007年9月14日 (金) 14時22分

猫姫さま、こんにちは。


映る全てのもの
急ぎ足で
変わっていくけれど

さよなら夏の日
いつまでも忘れないよ

雨に濡れながら
僕らは大人になって行くよ

(山下達郎作詞「さよなら夏の日」より)

いい曲に、いつも沢山のインスピレーションもらってます。達郎の曲では、「蒼茫」も大好きです。

投稿: Hoshino | 2007年9月14日 (金) 14時29分

「川向うの町から 宵闇が来る
煙突も家並みも 切り絵になって」

「土手と空のあいだを風が渡った
悲しいほど紅く
川面はゆれていたの」

まだ十代だった頃、繰り返しどれだけこの曲を聴いたことか...
時が流れ、田園都市線で通勤していた頃、
二子玉川の橋を渡る時、車窓から多摩川を眺めながら
常にこの曲が私のなかで流れていました。
作詞者が、この場所を歌ったものだと記憶しているのは
私の思い違いでしょうか。
時代を隔てても、このイントロを聴くだけで
切なく情景が浮かびます。

そして、星野さんの「写心」からは
曲が詩が優しく切なく奏でられています。

春の星花の球根、漸くみつけることができ
きょう午後に届く予定です。
明日、彼女のもとへ行って参ります。

投稿: sana | 2007年9月15日 (土) 14時13分

球根はいい。
地中で秘かに次の季節を待てるから。
刈り取られたって大丈夫。
地中で秘かに増えるから。

ユーミンも、夕映えの時間帯が一番好きなんでしょうネ。

結構アチコチ旅してた時「さよなら、夏の日」を聞いて、廃線になった線路が浮かんでキタキツネと絡めて撮ったんです。CDのジャケットを後日見てビックリ。犬と線路の写真だったんです!(薄れ行く記憶なんで、多分ですが)

五感を研ぎ澄ませって、写真を撮る人によく言うんです。頭で写真を撮っちゃダメ。イメージとフェイクは違うから。

実は、例の件で「土手と空の間を・・・」ってのが久々に浮かんで翌日「風」の写真がたくさん撮れたんですヨ。そしたらsanaさんも↑。ビックリ。世代(失礼!)ですね。

いい時代でした。あの頃は、今より貧富の差が激しかったと思う。けど「夢」があった。工夫や努力で何とかなった。今は、「物」至上主義。お金が無きゃ何も買えない悪夢のような時代になっちゃった。

次に会う約束なんかしなくたって、いつでも話せるし会えちゃう。あの「ドキドキ」や「セツナ」を知らない世代じゃ「私だけが変わり、みんなそのまま」なんて分んないだろうナ。「ヒメジョオンに埋もれて」って、不倫の伏線じゃ無いですかね。

投稿: Hoshino | 2007年9月17日 (月) 13時36分

そうです、あのジャケット、犬と線路でした。
鳥肌ですね。イメージがそのように創作者と重なり合うなんて...それが、星野さんのおっしゃる「五感」なんですね。
私が初めて自分のカメラを手にして写真を撮り始めたのが猫であったために、以前は、肢体そのもののしなやかさを撮ることに無我夢中でなにも考えずシャッターを切っていました。
でも、星野さん、最近、以前より撮ることが面白くなってきているんです。自分のなかでほんの僅かな小さな変化ですが、言葉では説明できないものを感じています。しかし、それが投影されていないなぁと撮ってきた写真を眺めながら溜息の日々ですが。
そして、まだほんの爪先しか踏み込んでいないこの世界は、なんて奥深いものだったのだろうと痛感しています。

時代もそうですが、人間の心は、複雑で厄介なものです。人生の中で、或る時は悪夢を垣間みたり、また悪夢から目が覚めることもあり...。「物」を手中にしても一時の満足感で、「心」は満たされていない。幸せを感じた時、それこそが「大切なもの」だと思うこの頃です。
純粋に夢を失わずにいるには、力が必要ですよね。星野さんにはそんな力が失われていない方だと思います。

投稿: sana | 2007年9月18日 (火) 15時58分

岩合さんは、アングルファインダーを使わないそうです。私もこの1年全く使ってません。もちろんライブビューも。

猫目線アングルや、ローアングルで撮りたかったら、座るか腹這、時には仰向けになって撮ります。結果はライブビューと同じだけど、その目線に自分が降りなければ見えない物が多いから。

それは、「風」「地面の温度」「土や草の匂い」だけじゃありません。

先日も、防波堤で眠る子猫を撮ろうと地面に仰向けになり撮りました。漆黒の闇の中です。

普通に三脚をセットしてたら「ISO1600で2秒位の露光かな。50mm位で、対岸の街明かりも入れて、、、」って過去の経験や既成概念が邪魔しちゃう。こんな時は思い切って目線を下げ、視界を狭め目からの情報をあえて少なくするのがいい。既成概念や過去の経験に囚われたらダメ。

「風が速いと思ったら、雲が流れてるぞ。よし、ISOは200で、60秒位露光しよう、、、時計の文字盤が真っ暗で見えない。あっ、飛行機の翼のフラッシユライトを60回数えよう。昼間はあんなに熱かったコンクリートもひんやりして気持ちいいな。そりゃ~ここで寝ちゃうわけだ。」って感じ。いつもこんな思いつきだけで写真撮ってます。
別に稚拙でも、(猫写真って狭義じゃなくて作品として)写真的評価が得られなくともいい。毎週好きな物を好きなだけ、時間とお金を浪費して撮ってるのが一番シアワセです。44歳にもなって、、、


投稿: Hoshino | 2007年9月19日 (水) 01時26分

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