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2008年2月12日 (火)

Imgs0935

最近、休みの度に或る漁港で終日時間を潰してます。

漁師さんに存在を認められ、漁船や番屋での寝泊りを許された4匹の若い猫がお目当て。

軽トラックが来る度に、車に駆け寄る4匹。

海の男のゴツイ手でナデナデされたり、ゴロゴロされたり・・・

のどかで、穏やかな時間が流れています、、、

、、、いいえ、違うんです。

「ゴハンは?」

何人もの顔見知り漁師さん、いわゆる「フード」は一切あげてないんです。

雑魚や商品にならない魚は、浜に捨てちゃうんで、猫達はそれを拾って食べています。 が、あげる(捨てる)物が無い時は、何も食べる物が無いんです。 男達は、わざわざキャットフードや自宅の残飯を持って来るような事はしないみたいなんです。(場所によっては時々奥様が粗をあげてます) 残念だけど、此処だけじゃなく多くの場合、「猫と漁師」の関係はこうなんじゃないかなって思います。

昨日、彼らのねぐらに海鳥の羽毛が散乱してました。

薄暗い場所に目を凝らすと、一昨日、私の指を甘噛みしたり、鼻スリスリを求めて来た幼い黒猫が、海鵜を食べてました。 

そんな猫達だって、明日は、カラスや猛禽類に逆に捕食されてしまう事だって有り得る環境。 

現実、、、

今日見た、東京の地下鉄の駅で無料配布されてるマガジンに、猫にまつわる小特集がのってた。

昨日の今日なんで、夢のように美しい話が童話の様に感じてしまった。

・・・Hoshinoの写真に騙されちゃいけない・・・

次回のAlbumにも、2匹で仲良く寄り添う猫の写真がのるだろう。 最近意識してこんな写真も撮っている。 前じゃ見てるだけで決してシャッターを切らなかったシーン。 「愛し合ってる二人」っぽいキャプションが一般的には付いちゃうんだろうけど、大抵はそんなんじゃない。 お互いのポジションを確認してるだけ。 生きる為には媚も売るし、野良道だって教えを請わないと。 むしろ、すり寄られてる方は嫌がってる場合が多かったりする。 

仲が良くって寄り添っているように見てもらっても、もちろんイイ。 それは、見てくれる人の作った物語なんだからそれでイイ。 でも、発信者が一方的に美談として押し付けるのはどうなんだろうって、いつも考えさせられる。

あるいは、鋭い視線の精悍な猫の写真。 決して哲学的な事なんか考えてない。 それは甘ったれの裏側に秘めた、冷酷なまでの「ハンター」の視線。 そして、野鳥や野ネズミを捕える本能が露呈した瞬間の表情なんだ。 

今、東京では北北西の恐ろしい程の強風が吹き荒れてます。 でも、彼らの本性を少しだけ知った今の私には、センチメンタルな感傷なんて湧きません。 外で暮らす、ありとあらゆる生き物達は、人知れず今も明日を待っています。

現実は、時として悲しいけど、創造された美談よりも遥かに感動的だと思います。

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コメント

こんばんわ。Album拝見させて頂きました。撮る側として僕の場合は作品734-1や735のようなシーンを本当は望んでいるのかもしれません。雪の中の猫たちを見るのはつらい。でもそれはそれで作品としてこれらがないと734-1や735のような作品が生きてこないから・・・だって大衆が見たら「わぁ空が青くて猫たちもかわいい」って真実を知らずにそう言うでしょうから。
ましてや744をみたら例の「合成だよ」発言もでるでしょうし。

僕のブログで仔猫が茶白の成猫に付いていきだしたって記事にしました。ずっと観察していると仔猫たちは一生懸命に成猫に引っ付こうとしているのに成猫の方はすごく嫌がってるんですよね。それでも「あっちへ行け」なんてそんな態度見せない、仔猫たちから少し距離をとり見守り、仔猫たちはその前で走り回ってる。この場所も周りにはテリトリー持った成猫が数頭います。仔猫たちも生きていく知恵を教わっていくんでしょうね。
ほんとこんな光景を見ると感動です。

投稿: taka-fukuyama | 2008年2月13日 (水) 19時56分

Takaさん、こんばんは。

初期の私の猫写真は「一人で、しかも動いてる」写真ばかり狙ってました。今でもどちらかと言えば座ってる写真はあまりスキじゃないかも。ロケ地も荒涼とした場所ばかりに通い、公園や住宅街は避けてました。

でも、「写真展」の展示を具体的に考えるようになってから、ある事に気付いたんです。

「気高く、一生懸命生きる」ってテーマを際立たせる為には逆のシーンも無ければいけないんじゃないかって。ほのぼのとしたシーンや、笑える写真も入れなきゃ、より多くの人に真意は伝わらないんじゃないかって。

例えば戦場の悲惨さばかり伝えても大衆は目をつぶってしまうけど、何気無い日常のホッとしたシーンや、美しいシーンもさりげなく取り入れることによって、より「戦争の虚しさ」を伝える事が出来るように。

744の様な既視感や常識を裏切る写真はかえって不自然に見えちゃうけど、2人で寄り添う写真なんかは常識の範囲内だし、「やらせ」が効かないんで「自然」に見えちゃうんです。

でも、此処が実は写真の嘘のポイント。ある程度の経験があれば、「それっぽい表情の瞬間」を切り取るのは容易いんです。

だから、あえてタブーな部分に触れてみました。
少なくとも、こんな訳の判らないマイナーな私のブログを見て下さってる方々には、もっともっと肥えた「写真眼」を持って欲しいから。裏を知って尚、私の写真を見てくれた人が「ジーン」と来ないようじゃ、「写真」としてダメだと思ったから。

投稿: Hoshino | 2008年2月14日 (木) 00時10分

「写真」は難しいですね。
特にキャプションを付ける際、
どうしても撮った人の思い入れが入るから。

「嘘」ではなくても「こうなんじゃないか」
という気持ちは当然あるワケで。

たしかに人間から見れば微笑ましいシーンでも
猫たちにとっては、そうではないもの多いでしょう。

それと同じく「可哀想」と思っていても
猫たちはこちらが考えているより
生きていくことにどん欲で知恵もあって、
たくましく生きているのだろうと思います。

私が最近、毎日のように会っている子も、
以前は飼い猫だったらしく、とてもなついています。
寒い日、雨の日は心配で、できれば家に…
と思う反面、このままでいた方が幸せなのかも
と思う気持ちもあって複雑です。

Hoshinoさんの写真を通じて、
本来の姿や現実を知ることも大事ですし、
見過ごしてしまうこと、知らないことも
教えていただけるように思います。

投稿: 猫姫 | 2008年2月14日 (木) 12時10分

「幸せ」って難しいですよね。

何が幸せで、どこからが幸せじゃないのか。

生きてられるで十分感謝してるけど、せっかく生まれて来たんだから精一杯生きたい。

それは「人間」だからそう思うのかもしれない。「生きるだけで精一杯」の動物達はそうじゃないのかも知れない。

例えが適切じゃないかもだけど、どんなに家に居るのが安全で快適だって言っても、私は自由を求め外に出たい。車に乗れば、どんなに自分が注意してても、事故をもらってしまうかもしれない。お互いの「良心」を信じて、あらゆる生き物の常識を超えたスピードで紙一重の安全が成り立ってる現代。それでも、自宅でテレビばかり見てるんじゃ「生きてる」って実感が湧かないから、外にでちゃう。「籠の鳥」が幸せかどうかなんて、誰にもわからないはず。

昨日、地獄谷野猿公苑で温泉につかる猿達の映像をテレビでみた。それを撮影する何十人ものカメラマンがいた。「のどかな光景」としてその写真は、多くの媒体に載るんだろうな。

でも、その直ぐ近くの沢で、息絶えて白骨化した猿が人知れず土に返って行く写真をキヤノンギャラリーで見た。 萩原敏夫さんの写真だ。 星野道夫さんの写真にも度々骨の写真が登場する。 

美談ばかりじゃ無いのが現実。 ありのままを伝えるだけが写真じゃないけど、あまりにも偏った見せ方はどうだろうと考えさせられる。 黙ってブームに乗っかっちゃえばいいんだろうけど、私も表現者のはしくれだからそれも出来ない。 

猫は野生動物じゃ無いけど、長い歴史の中で「人と寄り添い外で暮してきた」歴史がある。きちんと管理さえしてもらえれば、(施術、小屋、食べ物)家の中で暮すだけが幸せじゃないと思う。 
もちろん「家猫」にしてあげられればそれに越したことは無いと思うけど、現実的に無理ならば、自分を責める事は無いんじゃないかな。
少なくとも彼らにとって、猫姫さんと過す時間は「幸せ」なはずだから。
それが不幸と不幸の間の「つかの間の時間」だったにしても。

投稿: Hoshino | 2008年2月14日 (木) 15時01分

この冬の撮影で、私はいつも後ろ髪を引かれながら帰っていました。
彼らを此処に残していくことに罪悪感のようなものを抱きながら。
先日、コメントさせて頂いた時にもそのように書いていました。
でも、今日、大雪のなかを5時間、彼らと一緒に過ごしてきて、
強く感じさせられたことがありました。

彼らは、唯々、無心に生きていました。
天候など関係ないがの如く。
特に胸に強く熱く迫ってきたのは、一心に食べていた姿でした。
"食べる"という行為は、生死を分ける基本ですものね。
だからでしょうか...。"感動"という言葉で片付けてしまうには
ニュアンスが違うのですが、今日受けて来たこの衝撃、
わかって頂けたら嬉しいです。
可哀想とかという哀れみの感情を持つことが失礼になる気さえしたのです。

Hoshinoさんがいつもおっしゃっている『気高さ』ですよね。
私も動物すべてにそれはあると感じています。
その『気高さ』を、きょうは、強く "実感"してきました。
でも、その『気高さ』を自分では表現できないのが、残念...。
唯、きょうは行ってきた甲斐があった、と思いました。

これも、もしかしたら、其の時其の時の人間の勝手な"思い込み"
でしかないのかもしれない。
感傷的になったり、感動したり、相変わらず外で生きる彼らには
こんな人間の感情なんて関係ないんですが...。

投稿: sana | 2008年2月17日 (日) 22時14分

sanaさん、こんばんは。

さすがにそちらの雪は半端じゃ無いですね。
この環境下、毎日彼らの面倒を見られてる方々には頭が下がります。

雪国でも野良猫は何冬も越すって話は聞いた事ありますが、実際に毎週映像で拝見すると、改めて猫の「生命力」を感じます。

私の写真に、食事のシーンが無いのにお気づきですか? 「食べる」って、生々しいですよね。 例えそれがカリカリでも、私の場合「恐怖」さえ感じます。 小さくても「猫科」の本性を垣間見るような気がして、、、

この写真の子達、漁が休みの土日は殆んど何も食べられないみたいなんで、最近毎週末、カリカリをあげてます。(不覚にもあげてしまったってのが本音です)
スリスリされるのは嬉しいけど、お陰で、写真が撮れなくなっちゃいました。

昨日も空腹なようなのであげてきたんですが、「ガリガリ、がりがり、ガリガリ、、、」って静まり返った漆黒の闇の中にこだまする音が怖かった、、、

お腹いっぱいになると、何事も無かったように、それぞれの居場所に消えて行きます。
そっけないもんですが、それでいい。
これ以上、お互い何かを望んじゃいけないってギリギリの線だと思ってます。 

暗闇の中、スポットライトに浮かんでは消える後姿を見るのがスキで、最近「夜写」をサボってます。


投稿: Hoshino | 2008年2月18日 (月) 00時42分

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