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2008年4月 7日 (月)

山笑う頃

「桜が咲いたらイカを食べに来なさい。」

花散らしの南風の頃、イカの身は柔らかくておいしい。

約束通り、炊きたての山盛り丼飯と、生姜醤油のイカ刺でむかえてくれた。

Imgh0781

思えば10代の頃、旅先でよく見知らぬ人に御飯を頂いたっけ。

平成も20年の今じゃ、知らない人に晩御飯をご馳走するなんてテレビの中だけの世界。

たった四半世紀前の事なのに、、、

嘘や虚栄の無い、いい時代だったな。

Imgh0785

「また5月にいらっしゃい。イカが終わったら次は鯛だ。赤も黒も美味いぞ!」

家に帰って着替えたら、ズボンのポッケから荒い海砂がどっさりこぼれて苦笑した。

四十も、もう半ば過ぎてしまったけど、それでもまだまだ少年でいたいな。

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コメント

良い話ですね。

写真をきちんと撮るなら、被写体をしっかり観察しなきゃいけない。
被写体を観察するだけでなく、周囲の環境も受け入れる。
そこに何度も訪れるつもりなら、その場の流儀に従わなければいけない。
最近、そんな風なことが判ってきました。

でも、これって実は立派な処世術なんですよね。
写真のおかげで、身の処し方を教わるなんて思ってもみませんでした。

投稿: H2_Ojaco | 2008年4月 8日 (火) 22時01分

H2_Ojacoさま、こんばんは。

以前、仕事でタイに2週間程滞在した時の事。
私はパクチー(匂いのきつい香草)でもすっぱ辛い料理でも何でもOKなんで、他のスタッフが和食や中華ばかり食べてるのを尻目にタイ料理ばかり食べてました。 不思議ですね。 1週間もすると、私だけ街でタイ語で話しかけられるんですよ。 地の物を食べてるうちに、自分の匂いが変るんでしょうね。 これって旅の原点なんじゃないかなってその時思いました。


人物は目の前に居るんだけど。
シャッターを押す瞬間は、遠くの海とか山とか雲の光とかを見ている。

これは、藤原新也さんの言葉です。
私はもちろん猫を撮ってるんだけど、その猫の暮らす場所の光や匂いを感じながらシャッターを切る。それを見てくれる人も、猫の日常に思いを馳せる。そんな写真を撮りたいと思うんです。

投稿: Hoshino | 2008年4月 9日 (水) 00時35分

その場の匂いや空気を自分が受け入れてないと、写真にもそれが出てしまうんですよね。
汚らしくなったり、誤魔化しが見えたり。
ところが、ゴミ袋でさえ許容した途端に写真には必要な要素となる。
こんなこと写真を撮る前には全く気付かなかったし、他の人に話しても怪訝な顔をされるだけ。
でも、判る人には全部判っちゃうて、知っちゃったらもうダメ。
これは怖い。(笑)
手を抜けなくなりますよね。

投稿: H2_Ojaco | 2008年4月 9日 (水) 12時20分

こんばんわ。活きのいいイカさしに生姜醤、たまりませんよ!!酒好きには(^^)
Hoshinoさんの人柄を地域の方もわかっていらっしゃるんでしょうね、羨ましいです。
ところでH2_Ojacoさんのお話とはちょっと違うんですけど、僕の場合は報道的にストレートに伝えるならゴミが写ろうがそれが真実ならばそれでいいと思う。ただ作品として仕上げるのなら邪魔な物はレタッチします。今回HPでアップした写真も2点レタッチしています。一つは堤防にいる猫。どうしても電線が入ってしまう。もう一つは陽に向かって伸びをしてる猫。梱包用の赤い紐が入っちゃって。2点ともスタンプツールで修正しました。でもこれがデジタルのメリットだと思うんですけどね・・・でもH2_Ojacoの言われること同感です・・・
Hoshinoさん、Hoshinoさんのサイトを使って意見交換的使用お許し下さいませ・・・

投稿: Taka | 2008年4月 9日 (水) 22時49分

H2_Ojacoさま、こんばんは。

田舎の路地なんか散策してるとよく犬に吠えられますよね。でも1ヶ月間、毎週末同じ場所に通えば覚えられてもう吠えない。
まして相手が人間であれば、「こんな奴が毎週来てるけど猫以外は撮らない(取らない?)から、、、」みたいな噂話が廻ってて助かります。

犬には知らん顔されて、地元の人とは「こんにちは」の一言だけで十分、ってなれば完璧でしょう。

頑固そうな、怖そうな人ほど仲良くなれば良くしてくれます。
逆に、ニコニコして初対面なのに「いつでも家に遊びに来なさい」みたいな人は本心じゃないから不思議です。空気読まないと・・・

多分旧来から猫の写真を撮ってる人から見れば、私の写真は無駄なスペースが多いと思うんじゃないかな。 日の丸構図だし、天地のバランスはメチャクチャだし、無駄な空間は多いし、、、でも、だからこそリアリティーがあるって自分では思ってる。 その隙間に写ってる膨大な「時間」こそが「空気」なんじゃないかな。(普通の人が年にどの位の時間を撮影に費やすか知らないけど、私は延べ90日位かな。)

この土日で撮影したデータは20ギガでした。別の意味で手が抜けなくなってもがいてます(苦笑)

投稿: Hoshino | 2008年4月 9日 (水) 23時54分

Takaさま、こんばんは。

Takaさんもbeer嫌いじゃないですね、、、もちろんビールもご馳走になりましたよ!

写真の「邪魔な写り込み物」が「余分な物」であると言う判断は、実は撮影の時点で確定してるんですよ。だから、後処理で消すのが前提の撮影であればそれはそれでOKなんじゃないかなって思う。「消さないから写さない」じゃ何も始まらないし、とにかくシャッターを切らなきゃ。
逆に、電線や電柱を上手く作画に取り込むことにより「日常」や「雑然さ」を演出する事だって考えられるんだから。

ゴミを写しても綺麗だったり、ゴミが無さ過ぎて不自然だったり、、、いやはや写真って奥が深い。

デジタルって後処理で何でも出来ちゃうからそれがダメって言う人もいるけど、そうじゃないと思う。確かに「嘘」や「捏造」は論外だけど、フィルム時代だってレタッチはあったんだし。
私が暗室でカラーやモノクロプリントしてた時、焼きこみや覆い焼き無しのストレートプリントなんて考えられなかった。むしろ何もしない方が手抜きだって言われたな。

投稿: Hoshino | 2008年4月10日 (木) 00時38分

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